2013:伝説の巨人、ヤンキースの42マリアノ・リベラ投手が引退した

背番号42はメジャーリーグ全球団の永久欠番である。
2013年までヤンキースの守護神、リベラの背番号も42だ。
これはドジャースの黒人選手ジャッキー・ロビンソンを記念して欠番となった。
しかし、その前から42番をつけていた選手に欠番は適用されないというルールになって、リベラの42が継続されたのだった。
もっとも、このリベラを記念して永久欠番ということになっていたかもしれないくらいリベラもすごい記録を残している。
1990年にドラフト外でヤンキースに入団したリベラはアマチュアでの投手としての経験はほとんどないに等しい。
1995年にメジャーデビューするも、トレード要員という評価だったらしい。
しかし1996年にリリーフに転向してからは2013年の引退までで通算652のセーブをあげた。
42番はヤンキースでも永久欠番になったが、ジャッキー・ロビンソンではなくマリアノ・リベラの背番号だとヤンキースファンは思っているに違いない。

リベラがいたから、ヤンキースはヤンキースでいられた。
それほど彼の業績は偉大である。
ヤンキース一年目の田中将大はキャンプで、その偉大な投手リベラのロッカーを引き継いだのだった。
田中将大に対するヤンキースの期待の大きさが解る。

マー君、神の子、不思議な子

世界へ飛び立つ前の野村克也元監督との最後のセレモニー。
野村が田中と出会っていなかったなら、田中将大は「我らがマー君」になっただろうか?
人の出会いというのは、不思議である。
おそらく、野球人の中にも野村克也氏を嫌いだと思っている方々は少なくないはず。

それは、もしかすると星野仙一氏に対してもそうかもしれない。
個性は強烈であるし、外見には我が強いと感じる。
星野はWBCの監督を引き受けざるを得なくなって、日本チームはそれまでと違う屈辱的な敗退をした。
それから、だいぶ穏やかになったと思うようになった。

田中将大にとっては、しかしながらこの二人の監督の影響はとても大きいだろう。

2011東日本大震災。嶋基宏の言葉から始まった。

この場面がなかったなら、もしかすると田中将大という大投手が生まれなかったのではと思う。
震災の被害地に戻ってみた景色は、想像を絶するものだったろう。
もう一度、振り返っておきたい。

あの大震災の時、楽天球場は通行禁止になっていたと思う。
国道4号線は徒歩で帰宅する人があふれていたのだったが、当日私の車はこの国道を走ることはできなかった。
至る所が通行止めだったからだ。

2013年、すべてはここが最終形だ。思い出の映像それぞれ。

2013年、日本シリーズ第6戦。田中将大は、160球を投じたにもかかわらず、この年の初めての負け試合となった。
第7戦。則本の好投によって、3-0とリード。
9回のマウンドに立ったのはまたしても田中。
24勝0敗という圧倒的なレギュラーシーズンの最終形が、ここに集約された。

マー君がヤンキースに行ったので、応援サイトを作ってみた

ニューヨーク・ヤンキースは栄光の歴史がある。

ワールドシリーズ優勝27回。

圧倒的な記録である。

しかし、とても残念のことに、ここ数年は中心選手たちの高齢化(と言うのも何だが…)が、なかなか勝つことができないでいる。

若手が育っていない。

その他、諸々がある。

 

イチローは好きな選手の一人である。

なんと言ってもあのバットコントロールは世界一。

だが彼も歳をとった。

 

松井秀喜は、すでに現役から退いたが、2014年はOBとしてヤンキースに協力するらしい。

 

ヤンキースに在籍した日本人選手もそれなりにいた。

半分は適応できないまま、「金をどぶに捨てた」と揶揄される成績しか残せなかった。

 

さて、我らがマー君である。

目の玉が飛び出るような高額契約でヤンキースに入団した。

これから、どんな伝説を作ってくれるのか、どきどきするくらい楽しみである。

田中将大、25歳の挑戦である。